高橋さんのガラスと酔っ払い

ガラス作家、高橋禎彦さん。
アトリエにはCDがたくさん並んでいる棚と、ガラス棒が隣り合っている。
コレクションのアイロンも無造作に並べられている。宝探しをするみたいにグルグルとアトリエを見渡してしまう。珈琲豆を焙煎するための網と火もある。無造作にポンとおかれている。ガラスの制作道具か否か?!判定不能である。

ガラス作家だから、ガラスのモノを作るのが仕事ということになるだろうけど。
高橋さんのアトリエからは楽しそうな秘密基地のかおりが漂いまくっている。ああ、憧れの場所だなココ。と、思った。

高橋さんのクリアなガラスの作品は、とても軽い。
最初は使うのを躊躇した。割ってしまいそう!と思ったから。多くの人が手にすると口にする言葉だった。「割っちゃいそー」。わかる。わたしも最初はそう思ってたまに来る友人にだすくらいだった。そして丁寧に洗って片付けていた。

オットと暮らすようになって、その考えはぐるりと変わった。
彼はまったく作家がつくったものに興味がなくそこにあるから使うというタイプ。使わなソンソン!ということなのだ。たしかに宝の持ち腐れになってしまう。仕舞い込んだり眺めたりするだけでは、その真価は語れない。

最初のうちは内心ドキドキハラハラとしていた。高橋さんのガラスに限らず、繊細な陶器もそうだ。でも使っているうちにだんだんと慣れていくものなのだ。陶器は金継ぎすれば良いと思ってはいたものの、やはり大事にしてしまうモノがある。でも国宝ではないのだ。ケチくさい根性は横へおいて好きなように好きなだけ使って!(使おう!)と方針をかえてみた。

そうすると、いがいと丈夫なものである。高橋さんのグラスは毎日のように使っているが割れたことがない。なんだいがいと大丈夫だな。と心の中でつぶやいたりした。それでも嫌なのは、酔っ払いの皿洗いである。
高橋さんのグラスは割れたことがないが、陶器はちょいちょい欠ける、、。まあでも、食卓が楽しくなるのだから多少のことは気にしないようになった。(あんまり酔っ払ってガチャガチャする時は、優しめに「洗わなくていいのよー」ということにしている。心の平穏のために。)

なにが言いたいのかというと。恐れずにデイリーに使ってみて欲しいということ。百円でいろいろ買えてしまう時代だから、とても高価で!と思うかもしれない。それでも、たくさんの安いグラスを使うよりも滑らかな口あたりやなんとも言えない触感を楽しんでみてほしいと思う。(思っているより丈夫だから)

そして酔っ払いのように、自由に使って欲しい。
ウチの食卓には脚のついたグラスに納豆やキムチが盛られてでてくる。どれだけ自由なんだ!と突っ込みたくなるが、とても楽しい食卓である。そして自由の範疇を広げてくれたオットに感謝している。

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Author Little TAO